黒米がようやく頭を垂れ始めています。
しかし、いささか問題発生……。
健全な穂もある一方
約半分がこのように白くなってしまいました。
肥料が足りなかったのでしょうか?
平成24(2012)年10月10日追記
アフコ・秋山農場の秋山直樹さんから下記ご教示いただきました。ありがとうございます。
「スカスカの白い穂は『白穂』といいます。肥料不足でなく生育障害です。
出穂開花のときになんらかのトラブルがあり、受粉できていないと思われます。」
黒米がようやく頭を垂れ始めています。
しかし、いささか問題発生……。
健全な穂もある一方
約半分がこのように白くなってしまいました。
肥料が足りなかったのでしょうか?
平成24(2012)年10月10日追記
アフコ・秋山農場の秋山直樹さんから下記ご教示いただきました。ありがとうございます。
「スカスカの白い穂は『白穂』といいます。肥料不足でなく生育障害です。
出穂開花のときになんらかのトラブルがあり、受粉できていないと思われます。」
建築家・吉田五十八(1894~1974)は、20世紀における伝統的日本建築の変革者でした。
主として住宅建築において、伝統的要素とモダンなそれとを融合した新しい座敷の形を創出し、その形は当時の誰もが共感するところであったがゆえ、瞬く間に全国へ波及しました。
現代和室の雛形は吉田作品と言って差し支えないのではないでしょうか?(本人は下手な模倣をされて困ると「饒舌抄」で述べています)
吉田は社寺建築においても、現代建築として如何にあるべきかを模索しました。
写真は満願寺です。
中国や朝鮮のそれと異なる我が国特有の緩やかな軒反りを主たるエッセンスとして継承する一方、仏教伝来以降外来の形ほぼそのままに保持されてきた組物を排し、モダニズム建築同様外部に構造を表出しています。
現代の我々から見ると、優美で軽やかな屋根と鉄筋コンクリート造ゆえの野太い柱梁を持つ軸部とがいささかアンバランスに感じられますが、当時としては斬新且つ先鋭的な試みであったに違いありません。
9月の我が家の収穫物です。
9月2日
ゴーヤ
9月7日
爆裂寸前のゴーヤ、その後冷蔵庫の中で爆裂してしまいました……。
9月10日
ナス
9月17日
ナス、大豆と化した枝豆、ミニトマト、ワケギ
9月26日
ナス、大豆と化した枝豆、ワケギ
9月30日
キュウリ、ゴーヤ、大豆と化した枝豆、ミニトマト、ワケギ
涼しくなりキュウリやナスが再び元気を取り戻しつつあったところへ昨日の台風17号襲撃。
幸いナスは大丈夫でしたが、キュウリとゴーヤは葉や実が吹き飛ばされてしまいました……。
音楽を好まれたという香淳皇后のご還暦記念として建設された桃華楽堂。
花弁を模した屋根、テーマごとに各面張り分けられた外壁モザイクタイル、エントランス棟の緩やかな曲線を持つ屋根やバルコニー。
建築家・今井兼次(1895~1987)の設計です。
学生時代、今井の弟子である建築家・池原義郎先生からこの建物について講義を受けました。
その時は殆ど理解出来なかったのですが、長い年月を経てようやくその素晴らしさが分かってきたように思います。
先日触れた村野藤吾といい、モダニズム建築の主流から少し距離を置いた建築家達に、今強く惹かれる私です。
ようやく実り始めた僅かな稲が、色付く前から雀に食い荒らされています。
今年は種籾の確保すら危ういかもしれません……。
9月16日の日曜日、長谷川堯の建築セミナー「村野藤吾から20世紀建築を視る―複眼的近代建築史のこころみ」 第2回「戦後村野の出発点―世界平和記念聖堂をめぐる考察」を拝聴してきました。
折しもこの日は目黒区民まつり・SUNまつり、会場である目黒区美術館一帯は大賑わい。
今回は、建築家・後藤慶二(注)の設計作法と絡めつつ村野の作品「世界平和記念聖堂」(重要文化財)についてのお話です。
聖堂建設にあたり設計競技を行った結果該当作品無しとなり、その後同審査員であった村野が設計者として選定された事の可否についてはさておき、
「この聖堂の魅力は、主たる内陣部分よりも小聖堂その他付加部分の造形にある」
との長谷川先生のご指摘は、現地を訪れた私の印象と合致するものでした。
それとともに、これらの造形が晩年の「谷村美術館」へと発展・昇華して行ったという事実に、一人の建築家が生涯をかけてある種のモチーフを追い続ける事(村野の場合、それは複数ありますが)の大切さを感じた次第です。
(注)後藤慶二(1883~1919)
建築家。司法省営繕技師として「豊多摩監獄」等を手掛けた。
村野は学生時代に後藤の講義を受け、影響を受けていた模様です。
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