長谷川堯の建築セミナー「村野藤吾から20世紀建築を視る―複眼的近代建築史のこころみ」第2回

9月16日の日曜日、長谷川堯の建築セミナー「村野藤吾から20世紀建築を視る―複眼的近代建築史のこころみ」 第2回「戦後村野の出発点―世界平和記念聖堂をめぐる考察」を拝聴してきました。
折しもこの日は目黒区民まつり・SUNまつり、会場である目黒区美術館一帯は大賑わい。

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今回は、建築家・後藤慶二(注)の設計作法と絡めつつ村野の作品「世界平和記念聖堂」(重要文化財)についてのお話です。
聖堂建設にあたり設計競技を行った結果該当作品無しとなり、その後同審査員であった村野が設計者として選定された事の可否についてはさておき、
「この聖堂の魅力は、主たる内陣部分よりも小聖堂その他付加部分の造形にある」
との長谷川先生のご指摘は、現地を訪れた私の印象と合致するものでした。

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それとともに、これらの造形が晩年の「谷村美術館」へと発展・昇華して行ったという事実に、一人の建築家が生涯をかけてある種のモチーフを追い続ける事(村野の場合、それは複数ありますが)の大切さを感じた次第です。

(注)後藤慶二(1883~1919)
建築家。司法省営繕技師として「豊多摩監獄」等を手掛けた。
村野は学生時代に後藤の講義を受け、影響を受けていた模様です。