日展へ(その1)曙光

勤労感謝の日の11月23日、国立新美術館で開催中の日展へ。
昨年に続き今年も常盤木隆先生からチケットを頂戴しました。ありがとうございます。


先生の奥様、常盤木邦子様の作品「曙光」。


遠くから拝見すると、より一層リアリティを感じます。

こうした大作を製作するには、相当広いアトリエが必要なのでしょうね。

日比谷公園散歩(その2)かもめの広場

前回の続きです。
話が前後しますが、日比谷公園に来る前に虎ノ門に用があった為、此の日は南西角からアプローチ。


かもめの広場の向かい側から国会議事堂を望むの図。
プラタナス並木も紅葉しています。奥には銀杏の黄葉も。


ちょうど噴水に日が当たり綺麗💛


桜の木の紅葉。


鳩が近寄って来ました。
あいにく餌となる物を何も持ち合わせず、ゴメンナサイ。

ちなみに此の広場には、「郷土の森」と称し、国内の都道府県等から寄贈された木々が植えられています。

(11月28日19:30追記)
当初は「北西角から」と記しておりましたが「南西角から」の間違いでした。お詫びして訂正させて頂きます。

北斎展へ(その4)ヤン・ヨーステン像

前回の続きです。
八重洲口側の地下街に下り、御店を物色しておりますと


こんな銅像が!


寄りでもう1枚。

実は此の御方、オランダ人のヤン・ヨーステン(1556?~1623)は、1600年豊後の海で難破した和蘭船に乗っていました。
そのまま日本に住み着き、徳川家康の信任を得、外交や貿易について進言する役目に就きました。
その江戸屋敷は和田倉門外の堀端にあったので、後に彼の名にちなんで八代洲河岸と称せられ、更に八重洲になったのだそうな!(銅像下に記された文言ほぼ書き写し)
皆様におかれましては、八重洲の名前の由来がヤン・ヨーステンであった事、御存知でしたか?

渚ゆう子「京都慕情」

本日はコチラの曲(1970年)を御紹介致しましょう。

たしかTVの懐メロ番組で此の歌を知り、良い曲だなと思ったら、なんとベンチャーズが作曲したのだそうな!
米国人でありながら日本の心を感じさせる旋律を見事に作り上げているのが凄過ぎると思われませんか?

追悼・上小澤先生

我が師・広瀬鎌二が設計し1959年に完成したコンクリートブロック造の住宅「上小沢邸」。
その施主でありドイツ文学者の上小澤敏博先生が先月亡くなった事を知りました。
これまで私は何度も御宅にお邪魔させて頂き、先生ご夫妻から直接お話をうかがい、その無駄を削ぎ落とした生活をつぶさに見せて頂く機会を頂戴しました。

享年98歳との事、これまでの御恩に感謝申し上げると共に心より御冥福を御祈り致します。

なお、リンク先の記事は我が愛する後輩・啓作君が「10+1」の為に20年近く前にまとめたもの。写真は2019年3月、「上小沢邸」取り壊し前の最後の見学会にて、先生と一緒に写して頂いたものです。

進級課題

専門学校木造建築科1年生は、進級課題で2階建て木造住宅を設計しています。
月曜日は2階床伏図及び小屋伏図の作成。

学生ひとりひとり家の形が異なる為、私達教員にとっては最も指導が大変で頭を使う一日なのでございます。
写真は参考として置かれた数年前の卒業設計優秀作品です。

日比谷公園散歩(その1)アメリカン クラフトビア エクスペリエンス

好天に恵まれた11月22日の土曜日、夫婦で日比谷公園を散歩しました。
この日はイベント「アメリカン クラフトビア エクスペリエンス 2025」が開催中。


折角なので私も巨大なビアジョッキと記念撮影。

かなり心惹かれましたが、酒に弱い私は酔うと歩けなくなってしまうので、飲むのは止めておきました。

Threadsに皆さんがアップする愛犬画像に日々癒されています。
私も載せたいですが飼っていないので、他所様の子を1枚。

先日の帰り道、暗い中いつものワンちゃんが居たので門扉越しに御挨拶。

喜風堂 どら焼 栗

昨日は祭日ながら専門学校は通常授業。
帰宅後、働いた自分への御褒美に、取っておいた喜風堂のどら焼をば。

上品な甘さで誠に美味しゅうございました。

北斎展へ(その3)

前回の続きです。
日本橋周辺に何か良い御店はないかな?、と歩き回りましたが、此処はビジネス街、日曜日は閉まっている御店が多いのですね……。


誠に心惹かれる佇まいです。
それにしても東京駅の真ん前に、こんな木造2階建てが未だ残っているとは驚きました。


これまた木造の小さな御店。何屋さんかな~?


店頭に骸骨(ガイコツ)を幾つも飾っているバー(?)がありました。
写真はレインボー骸骨。


こちらはオヤジ骸骨。

散策は楽しかったのですが、入れそうな御店が見当たらないので、東京駅構内へ移動する事にしました。