青い天井は、実は岩綿吸音板。

この上に杉板を目透かし張りします(注)。
(注)目透かし(めすかし)張りとは、仕上材相互を隙間を空けて取り付ける事。これにより厚み等の微妙な差異が目立たなくなります。
先述の通り、薬師寺食堂の落慶法要へ参列させて頂きました。
このような機会に立ち会える事は、滅多にあるものではございません。

私にとって薬師寺の伽藍復興とは、故西岡常一棟梁の著作をはじめとする様々な関連書籍を読み漁り「いつかこんな仕事をしてみたいものだ」と学生時代から憧れていた世界。
まさか自分が本当に関わる事が出来るとは予想だにしておりませんでした。
あらためまして今回お声掛け下さった文化財保存計画協会の矢野和之さんへ厚く御礼申し上げる次第です。
建築家であり早稲田大学名誉教授の池原義郎先生が亡くなりました。
享年90歳とのこと。一般的には大往生と言われるところでしょうが、もう新作が見られないかと思うと、私個人的には残念でなりません。
私を含む当時の早大建築学科の学生が最初に建築のイロハを学ぶのは、
吉阪隆正先生設計の「大学セミナーハウス」でのガイダンス、今井兼次先生の「大多喜町役場」の図面トレース、
池原先生の「所沢聖地霊園」でのスケッチ、そしてやはり池原先生の「成城の家」の模型作成、ではなかったかと記憶します。

当時私が最も興味深く聴講していたのは、なんと言っても池原先生の意匠に関する講義でした。
例えば、所沢聖地霊園のスライドを次々に映しながら、
鋼板扉に切り込みを入れて曲げ光を入れる、嵌め殺しガラスにタール(?)で抽象画を描き鳥の衝突防止とする、
門扉の螺旋状に曲げられた鋼板は綺麗な曲線になるよう鋼管の中に入れながら熱して曲げた等々、
ものづくりの実際を大量の映像で直截的に教えて頂いた事は、私にとって掛け替えのない財産です。
時折「うーん、ちょっと重いですね」などと、自作に関する反省点を包み隠さずおっしゃるところも魅力的でした。
私は劣等生でしたので池原先生のお傍に寄る事はかないませんでしたが、尊敬すべき建築の師として卒業後もずっとお慕い申し上げてきました。
心より感謝と哀悼の意を捧げます。
(写真は池原先生の作品「日本学園体育館」での一葉)
御近所さんが自家製レタスを沢山くださいました。

日々家族で美味しく頂いています。
出先からの帰り道、ひとつ手前の駅で下車し自宅まで歩いてみる事に。
その理由は、肥大を続ける我が腹回りの成長を少しでも食い止めるため、であります。

ちょうど太陽が傾きかけた頃、跨線橋西面の樹脂板が輝きを放っていました。
散歩中に出会った、住宅街にはいささか派手な赤壁の家。

お日様を浴びて輝くような鮮やかさに、思わずシャッターを押してしまいました。
望遠レンズで撮影した桜の若葉。

その葉脈の美しさ、いつもながら自然の造形には脱帽です。
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