飯田橋駅だったか、地下通路内の柱に張られていたテラゾー。
種石に何を用いているのか、全体的に橙色掛かって見えます。
飯田橋駅だったか、地下通路内の柱に張られていたテラゾー。
種石に何を用いているのか、全体的に橙色掛かって見えます。
もう10年近く前、都内某所にて。
駐車場の片隅に建つ、隅柱の無い建物に目が釘付けになったのでございます。
JR大久保駅ホームにて。
レールを用いた鉄骨架構ならびに其れと縁を切った箱状の木造事務室を眺めていたら(その写真はまた後日に)
線路に小瓶(ペットボトル?)が落ちている事に気が付きました。
すっかり茶色く染まっているのは、もしや鉄粉のせいでしょうか?
その後もなかなか良くならぬ我が皮膚疾患。
慶応義塾大学病院への通院も、二週に一度のはずが毎週になり、遂には週に三回も通わねばならない事に……。
その度に利用し眺めるJR信濃町駅ビル。
石の名手であった岡田(注)は、この建物で、ガラスを石の一種として扱おうとしていたのではないか?
雨天や曇天の日の鈍く光るガラス面を見るにつけ、そう感じる私です。
(注)岡田新一(1928~2014)は、日本の建築家。この建物は氏の設計により平成5(1993)年に完成しました。
以前、博多山笠で有名な櫛田神社を訪れた際の一葉。
「博多べい」なる土塀が復元されていました。
以下、石碑に刻まれた文言を書き写します。
天正15年(西暦1587年)豊臣秀吉の太閤の博多町割り(戦災復興都市計画)によって、たくましくよみがえった市街には「博多べい」と呼ぶ土べいが長く連なった。
郷土再興の悲願をそのままに、焼け石、焼け瓦が厚く塗り込められ、当時、重なる戦禍の焦土から奮起した根性と心意気を示して余りがある。
このたび、博多三商傑の一人、島井宗室の屋敷跡に380余年の風雪に耐えた、最後の「博多べい」が四散の危機に直面するに当って、広く志を集め、ここに移築再建した。但し右方は断面を表す。
御説明は不要かと……m(_ _)m
とあるビルの駐車場出入口の庇。
折角の良いデザインなのに、鏡と鳥避けが美観を損なっているのが残念……。
自分だったらどう解決すべきかしらん?
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