昨日に続き、鹿島神宮参拝記その5です。
鹿に別れを告げ再び歩みを進めると、思いのほか近くに奥宮はありました。

正式名称は摂社奥宮本殿(重文)。
境内の整備中なのか正面には雑多な物が置いてあったので、裏手から失礼してパシャリ。
これまた簡素な意匠の美しい社殿です。

この先に要石(注)があるそうなのですが、雀蜂が居て危険ゆえ立ち入り禁止との事、残念……。

少しだけ近くまで歩いてみると、神様が鯰(ナマズ)を退治する姿を彫った石がありました。

ここも木立と道が綺麗でウットリ💛
さて、少し疲れたので奥宮の前にあるカフェで一休み致しましょう。
(注)要石とは、地震を起こす鯰の頭を抑える、地中深くまで埋められた石のこと。
先に述べた通り、ラジカセが家にやって来てからはあらゆるジャンルの音楽をエアチェック(死語?)していた私。
無論演歌と言えども其の例外では無く、中でも五木ひろしさんの「千曲川」(1975年)は大変気に入った曲のひとつです。

ド演歌となると些か苦手なのですが、こういうメロディアスな曲は大好き。
カラオケでもたまに歌います。
昨夜に続き、奄美大島旅行記その20です。

ゆらい処からホテルに戻り、ひんじゃ~君と記念撮影。

翌日は朝焼けで目が覚めました。

朝食はビュッフェスタイル、デブにならないよう気を付けて選びます。
でもデザートを取り過ぎちゃったかも?!

朝食後は庭を散策。すぐ目の前が名瀬港です。

防波堤のすぐ下を綺麗な魚が泳いでいます。
もう少し庭の散策を続けましょう。
昨日に続き、鹿島神宮参拝記その4です。
続いて奥宮を目指し、巨木が立ち並ぶ参道を進みます。

猛暑ながらも日陰で涼しく、木漏れ日に心癒されます。

途中に鹿園がありました。
暑いので殆どが小屋に入っているのでしょう、見えるのは遠くの日陰に鹿の親子2頭だけ。
私の10年物のコンデジでは此の程度が限界でございます……。
先述の奄美大島で入手したカールの他に、近所のスーパー「マルエツ」でも関連商品を入手したのでございます。

きのこの山のジク カールチーズ味

チーズあじ カカールアーモンド

以前購入し取っておいたパックルと合わせ、全部を並べるの図(笑)
さあ、いよいよ食べ比べとまいりましょう。
昨夜に続き、奄美大島旅行記その19です。
お祭りが終わった後は、絶対に行くと決めていた「ゆらい処」へ。
以前書いた通り、ママさんがとても良い方な上に料理がどれも絶品なのです。
予約していないけれど入れるかな? 入れると良いな。

屋仁川通りには未だ祭りの余韻が。

いつものカウンターは満席でしたがテーブル席に座れました。生ビールで乾杯!

アッという間に空になっちゃった!

続いてニンニク酒をば。美味いぜっ!
こうして奄美初日の夜は楽しく更けて行ったのでした。
昨日に続き、鹿島神宮参拝記その3です。

御本殿に相対する場所に仮殿(重文)が建っています(何度か位置を変えているそうな)。
簡素な造りの仮殿も美しいですし脇の杉の大木も凄い!
現社殿造営の際は、まず此の仮殿に神様をお遷しし、続いて旧社殿を奥宮まで曳いていき、最後その跡地に新しい社殿を造営する、という手順がとられたと同社HPにあります。
Threadsに皆さんがアップする飼い猫画像に日々癒されています。
私も載せたいですが飼っていないので、他所様の子を1枚。
もう7年も前になりますが、亡き母が江古田の病院に入院していた頃の事。
私が見舞に行く時、江古田川の畔で野良ちゃんと良く出くわしました。

颯爽と闊歩する様子。結構肥えておられます(笑)
近所の方々が可愛がっていたのでしょう、人慣れしていて私が近寄っても逃げません。

可愛い声と野性的な目付きのギャップが(笑)
今でも元気にしているでしょうか?
昨夜に続き、奄美大島旅行記その18です。
縦長写真ばかりだった昨日に対し、今日は横長写真を御目に掛けましょう。

沿道から飛び出して踊り始めた青いTシャツの御老人は、お正月に高千穂神社で御会いした方ではありませんか!
御親切に旅人の私達へ話し掛けて下さり、戦時中同社境内に疎開されていたと仰っていたので、もうかなりの御高齢な筈ですが素晴らしい♪

お祭りを盛り上げるDJのお二人と音曲担当の皆様。

異国から旅の女性も誘われるまま踊り出しました。
最後は「六調」と云う早いテンポの歌と踊りで締め。
いやはや何とも素晴らしいものを見せて頂きました。感激です。
昨日に続き、鹿島神宮参拝記その2です。

楼門(重文)が修理工事中!

手水舎も! どちらも見られなくて残念!

奥(写真右側)から本殿・石の間・幣殿・拝殿(いずれも重文)。
やはり檜皮葺き(ひわだぶき)の屋根は好いですねえ、心ときめきます♪

昇殿参拝は出来ず、拝殿前に設けられた簡易な屋根の下で立ったまま参拝します。
バチが当たる事を恐れつつ拝殿の奥をパシャリ。
社殿は参道正面ではなく90度触れた方向に(北北西向きに)建っていました。
更にWikipediaの本殿平面図を見ますと、神様(武甕槌大神)が横を向いて鎮座しておられる模様。
何らかの意味があるのだと思われますが……。さて?