今日もまた日本の童謡をひとつ。
御存知、「里の秋」(作詞:斎藤信夫、作曲:海沼實 1948年)です。
白鳥英美子さん(元トワ・エ・モワ)の美しい声によるコチラのバージョンをお聴き下さい。
戦時中の家族間の想いが伝わってきて、思わず涙を流しそうになります。まさに名曲と言えましょう。
(写真はインターネットで探してきた初版レコードの画像です)
今日もまた日本の童謡をひとつ。
御存知、「里の秋」(作詞:斎藤信夫、作曲:海沼實 1948年)です。
白鳥英美子さん(元トワ・エ・モワ)の美しい声によるコチラのバージョンをお聴き下さい。
戦時中の家族間の想いが伝わってきて、思わず涙を流しそうになります。まさに名曲と言えましょう。
(写真はインターネットで探してきた初版レコードの画像です)
土曜日は代々木公園で開催されたナマステ・インディア2025へ。
私達夫婦共通の友人であるYukariさんが、昨冬同様、サヘーリアを率いて舞台に出演されるからです。
相変わらずYukariさん、チョーカッコイイ!
ボリウッドダンスを拝見した後はズラリと並ぶ屋台で遅い昼御飯を。
私が食べているのはチキンビリヤニ。
他にもチーズナンやパニプリ、飲み物はラッシーを頂きました。
この日も秋にしては結構暑く、喉が乾くのでマンゴースムージーも。
雑貨や洋服など他の屋台も冷やかした後
もう一度舞台へ向かおうとすると
公園の片隅にサヘーリアとスタッフの皆さんが集まっておられるではありませんか!
Yukariさんにシャンパンを渡され、なぜか我々も打ち上げの乾杯に参加。
関係者では無いのにスイマセン……。
異国の文化に触れる事が出来、大変楽しゅうございました。
昨夜に続き、奄美大島旅行記その50です。
海を望む場所に集落の墓地がありました。
全くの門外漢ながら台座(?)の形が独特のように思われますが……、さて?
海沿いの道が美しい……💛
この道を本村さん仰るところの猫バスが走るのです。
バス停もイカシてます💛
さあ、須子茂(すこも)を後にして、加計呂麻島に残る戦争遺跡へ向かいましょう。
隣の東板橋公園では子供達が水遊び中。涼しそうで良いな~。
もうすっかり秋になりましたが此の日は未だ残暑が厳しかったのです。
先に御覧に入れたオブジェの他にも、蟹(カニ)さんや
河豚(フグ)さんも居ました。無論デザイナーは異なるでしょうが。
我が家から車で僅か30分弱の所に斯様に楽しい場所があろうとは! 再訪必至であります。
以上、数回に渡り書いてまいりました板橋こども動物園訪問記は此れにて御終いです。お付き合い頂き、ありがとうございました。
今日はホール&オーツの此の曲(1977年)を。
私が高校生の頃、彼等の楽曲「プライベート・アイズ」や「アイ・キャント・ゴー・フォー・ザット」等が大ヒットしておりました。
当時たしかラジオで特集番組が組まれ、その際に掛かった「リッチ・ガール」が私のハートを撃ち抜いたのではなかったかしらん?
ダリル・ホールのエレピの弾き方を一所懸命真似しようとした事を思い出します。
金曜の夕方専門学校から帰ると、珍しく坂下の猫ちゃんが出迎えてくれました。
「別にお前の事待ってた訳じゃねえよ」
え~、そんな~!
でも、いつもとは違う表情が撮れたので良い事に致しましょう。
と書いたところで先日の猫ちゃんと模様が全然違う事に今更ながら気付いた私!
この御宅には少なくとも猫ちゃんが2匹居る事をようやく認識したのでございます……。
昨夜に続き、奄美大島旅行記その49です。
ちょうど島内を走る路線バスが停車していました。
ガイドの本村さん曰く「私には猫バス(注)に見えて仕方がない」と(笑)
すぐそばを小川が流れています。河口から見る海も、これまた美しゅうございますね💛
そして川を覗き込んでいたら大鰻(ウナギ)が!
慌てて撮影したので今一つですが……。
実は本村さん、この後大鰻が見られるポイントを案内して下さる御積りだったそうで、幸いここで出会えたので予定を割愛する事になりました。
(注)猫バスとは、ジブリ映画「となりのトトロ」に登場するもの。
駒形克己さんがデザインした動物園のシンボルマーク。
隣接する東板橋公園にも氏デザインのアートオブジェがあり、子供達の格好の遊び場となっています。
私も遊んでみました。股が裂ける~!
事務所棟のピクトグラム他も、とても良く出来ていて感心させられます。
さて、3時過ぎになると山羊さん羊さん達はおうちにお帰り。
これを潮時と、私達も帰る事にしました。
ちなみに此の動物園、なんと入園無料なのです! 本当に素晴らしいです!
(ロゴマーク画像のみ同園HPから拝借しました)
昨夜に続き、奄美大島旅行記その48です。
奉安殿を見学した後、須子茂(すこも)小学校の内部を見学させて頂きました。
昭和37年、昼間電気を使えない事に困った校長先生が、その事をNHKラジオへ投書し訴えました。
ラジオを聴いた当時の鹿島建設社長・鹿島卯女(かじまうめ)女史(上写真の方)が資金を援助し、校内に発電機を整備し視聴覚教育等の(電気を使う)授業が出来るようになったのだそうな。
素敵なエピソードですね。
昔は低学年の教室には必ずこのような足踏みオルガンがありましたよね。
鍵盤に触れて喜ぶ本村さんと私。
廊下。薄緑色に塗られた木製の建具が郷愁を誘います。
教室はすぐにでも授業を再開出来そうな感じで残されていました。
小学校の中に入るのは相当久しぶりで、何だかワクワクしてしまった私です。
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