昨日の夕方、専門学校から帰宅して間も無く、東の空がいつもより綺麗に赤く染まっています。
これは焼けるぞ!と直感し、すぐさま屋上へ。
思った通り、大変美しい夕焼けでございました。
ハト小屋の上によじ登り写真を撮りまくった次第です。
昨日の夕方、専門学校から帰宅して間も無く、東の空がいつもより綺麗に赤く染まっています。
これは焼けるぞ!と直感し、すぐさま屋上へ。
思った通り、大変美しい夕焼けでございました。
ハト小屋の上によじ登り写真を撮りまくった次第です。
昨夜に続き、奄美大島旅行記その60です。
とても良い方なので、引き続きナイトツアーも本村さんに御願いする事にしました。
港で一旦お別れしてそれぞれ夕食をとる事に。その前に巨大マグロと記念撮影。
食ってやる!
逆に食われた~!
と馬鹿な事をやっている内に夕日が美しくなりました。
レンタカーは港の駐車場に置いて、本村さんに教えて頂いた和風レストラン丸屋まで歩きましょう。
昨夜に続き、奄美大島旅行記その59です。
帰港後、本村さんが瀬戸内町にある旧陸軍弾薬庫跡を案内して下さいました。
以下、此方様のサイトから引用(一部加筆)させて頂きます。
旧陸軍弾薬庫跡は、旧大日本帝国陸軍が建造した施設で戦前の1932年に完成したものです。
戦前・戦中は周辺の島々や更に南方地域への弾薬を供給を担う拠点であったため、その存在自体が堅く秘匿されていたと言います。
日本の敗戦による武装解除の実施に伴い、備蓄されていた弾薬は運びだされて大島海峡に廃棄され、このとき一般にその存在が知られることになりました。
この施設の内部は網の目に組まれた鉄骨を厚いコンクリートで固め、さらに銅板を張りめぐらせ空気が洩れないように、又湿気防止のため周囲は空間を設け風圧に耐えるため二重壁の構造になっているなど、当時の弾薬庫としては珍しく規模、構造とも日本で最も優れた施設であったと言われているそうです。
上述の通り、トンネルの中に入れ子状に鉄骨格子とコンクリートで作られた弾薬庫が存在します。
中に入ってみましょう。
ここに住んでいるらしく蝙蝠(コウモリ)が飛び交います。動画を御覧下さい。
近寄って見ると頑丈に造られているのが良く分かります。
蝙蝠の他に大きな蜘蛛(クモ)も居ましたが、私には種類を特定出来ません……。
ちなみに先の戦争から80年を経て、今再び奄美が前線として整備されつつあるそうです。皮肉な現実でございます……。
昨夜に続き、奄美大島旅行記その58です。
帰りの船まで時間が無いので、諸鈍(しょどん)シバヤ(芝居)の舞台となる大屯(おおちょん)神社を車の中から見学。
帰りは生間(いけんま)港から連絡船に乗ります。
古仁屋港へ着く頃には陽が傾き始めていました。
加計呂麻島の島内観光、大変楽しゅうございました。
続いて本村さんの御好意で、もう1ヶ所だけ近くの戦争遺跡へ連れて行って頂きます。
今日は私が青年期に大ファンだったRCサクセションの此の曲(1980年)をお聴き下さい。
久保講堂でのライブアルバム(写真)の収録曲です。
ちなみに私も社会人ホヤホヤの頃にアマチュアバンドで此の曲をベースを弾きながら歌っておりましたよ、エヘヘ。
昨夜に続き、奄美大島旅行記その57です。
「リリーの家」から本村さんの車で少しだけ移動すると
海沿いにある諸鈍(しょどん)デイゴ並木です。
どれも樹齢300年を超すのだとか!
こちらが一際(ひときわ)大きな樹。物凄い迫力です!
折角なので此処でも本村さんに記念写真を撮って頂きました。
5~6月に花が咲くそうですが、さぞかし壮観でしょうね。是非一度見てみたいものです。
(3枚目写真撮影:本村信行さん)
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