倉敷旅行その8(最終回 古建築巡り)
旅行最終日である11月13日、楢村徹さんにもご同行いただき、まずは「内山邸/サロン・ド・ヴァンホー」(設計:楢村徹)を見学、しかし写真は無いののだ……。
その後、修理工事中の吉備津神社(国宝)を見学しました。
先に書いた通り私はデジカメの電池を使い果たしてしまい、指をくわえて皆さんが撮影する様子を眺めていた訳ですが……
しかし!
日頃の行いがすこぶる良い(酔い?)ものですから、神様が降臨されたのであります。
その名は倉島和弥さん(別名rabiさん)、イェ~~イ♪
偶然にも全く同じデジカメをお持ちのrabiさんが電池を恵んでくださり、滅多に見ることの出来ない桧皮葺き替えの様子を撮影することが出来たのでした。
rabiさん、私は一生あなたの下僕ですm(_ _)m
その後、閑谷学校(国宝)へ。
石積みの塀や山の造成が独特です。韓国慶州の古墳群を思い出させます。
土蔵の白壁に樹の陰が落ちている様がなんとも美しいですね。
屋根瓦は備前焼きだそうです。
さらにその後は兵庫県にある浄土寺浄土堂(国宝)を見学。
これは言わずと知れた日本建築の名作。以前カーサ・ブルータス誌にも書きましたが、私にとっては国内ナンバー1の古建築です。
残念ながら写真撮影禁止のため画像はありません。
訪れたのがちょうど夕暮れ時、ゆっくりと西方浄土を再現した空間にひたってきました。
これにて家づくりの会・倉敷建築ツアーは終了です。
言葉に表せないくらい充実した旅行でした。
企画を担当された川口通正さんとご協力いただいた古民家再生工房の皆様へ心より御礼申し上げます。
(終わり)
倉敷旅行その7(「五十橿舎(いかしのや)」ほか)
ずいぶん間が空いてしまいましたが、昨秋の倉敷旅行記の続きです。
06年11月12日、神家昭雄さん設計の「MTT社屋」を見学後、続いて古民家再生工房の全員が共同設計した「五十橿舎(いかしのや)」を訪れました。
下は同工房メンバー建築家・佐藤隆さんから説明を受ける家づくりの会の面々。
ここから同工房メンバー建築家・矢吹昭良さんと大隈雄三さんのお二人にご同行いただき、鏡野町の奥津湖(苫田ダム建設でできた人造湖)畔にある観光施設「赤壁」(設計:矢吹昭良)へ。
必ずしも和風にとらわれないグラフィカルな外観処理が矢吹さん流のようです。
雑誌で拝見した際には丸窓や中央扉脇の色漆喰等がいささか唐突な印象を受けていたのですが、実見すると違和感なく調和していました。
ここで見学がてら昼食をとり、続いて「奥津町商工会館」(設計:矢吹昭良)へ。
わざわざ建主と大工棟梁が出向いてくださり、建設時のお話を聞かせてくださいました。
ここでも土蔵の扉にはグラフィカルな模様が施され、壁には赤いタイルが斜めに張られています。
私はカルロ・スカルパ(注)のデザインに通ずるものを感じました。小粋で可愛らしい感じです。
続いて「黒谷の家」(設計:大隈雄三)へ。
広大な敷地に幾棟もの建物が配置されています。
建主ご夫妻からお話をうかがいながら、ゆっくり見学させていただきました。
ご夫妻の生活スタイルがなんともいえず優雅で、建築そのものも実に素晴らしかったのですが、ここでなんとデジカメの電池切れ!
あまりに悲し過ぎる……。
かろうじて美しい屋根のみ写すことが出来ました。
日没後、さらに大隈さんの設計アトリエも見学させていただき(これまた実に素敵でした)、そして今宵の宿はアイビースクエア(設計:浦辺鎮太郎)という名建築漬けの一日。
にもかかわらず後半の写真は全く無い……。
夜はひたすらヤケ酒をあおり続けた私でありました……。
(注)カルロ・スカルパ(1906~1978)はイタリアの建築家。代表作に「カステルヴェッキオ美術館」「オリベッティ・ショールーム」「ブリオン家墓地」などがある。
6月24日(日)、東京の木で家を造る会の住宅見学会がありました。
建主・O夫人と一緒に参加すると、そこにはテレビ番組の取材陣が!
O夫人と私がお話している様子をシッカリ撮影されてしまいました。
困った、ついにテレビデビューか……。
番組を見て、ジャニーズ事務所がスカウトに来たらどうしよう?
ジャニーズ・シニアとかあるんだろうか?
やはり「僕はバック転が出来ないので何卒ご容赦ください」と言って丁重にお断りしなければ……
などと妄想にふけりつつ、池上へ移動。
この日は家づくりの会のお仲間・建築家の水口裕之さんの新作オープンハウスでもあるのでした。
水口さんの作品は、白と黒の対比を強調した実に明快な構成。
こういう作風は私の好むところであります。
私のヘボ写真やコメントより、ご本人が連日ブログで解説しておられますので、そちらをご覧ください。
この日はあいにくの雨模様、気温も低く、半袖のシャツでは寒いくらい。
帰りに本門寺へ寄り、近年解体修理された五重塔(重要文化財)もついでに見物してきました。
境内には力道山のお墓もあるそうですよ。
ノルディック管弦楽団コンサート
6月11日、コンサートに行きました。
芸術音痴のはずの父がどういうわけか券を入手し、「自分は都合により行けないので、お前にやる」と回って来たものです。
もちろん私にとっては願ってもない話。
ノルディック管弦楽団とゲスト(トランペットのオーレ・エドワルド・アントンセンさん、ピアノの今川映美子さん)の共演です。
演目は以下の通り。
ラーション トロンボーンの為のコンチェルティーノ作品45の7
リンドバーグ トランペット協奏曲「アクバンク・ブンカ」(日本初演)
メンデルスゾーン ピアノ協奏曲第2番ニ短調作品40
シベリウス 即興曲「春の歌」作品16
ベートーベン 交響曲第7番イ長調作品92
最初の曲で素晴らしいトロンボーンを聴かせてくれたクリスチャン・リンドバーグさんは、同楽団の首席指揮者でもあります。
2曲目はそのリンドバーグさん自身の作曲。民族調メロディあり、現代音楽調あり、ジャズ調あり、と変化に富んだ魅力的な作品でした。
そして何よりもリンドちゃん(私が付けたリンドバーグさんの愛称、以下同じ)の指揮棒を振る仕草がとてもチャーミングなのです。
舞台衣装も素敵で(お色直し2回)、気が付けば私は、リンドちゃんの虜になっていました(笑)。
早速休憩時間にホワイエでCDを物色したところ、買った人には公演終了後にサイン会に参加出来る特典があるとのこと!
当然CDを購入、終演後サイン会に参加しました。
アーティストと直接触れ合えるこのような機会に言葉が通じないのは悲しいですね。
喋れないならばせめてもと精一杯の微笑みをリンドちゃんに送ったところ、気持ちが通じたのでしょうか、満面の笑みを返してくれ、さらには握手までしてくれました。
クラシック音楽には極めて造詣の浅い私ですが、いずれの曲もとても心地よく、よい気分転換になりました。
先に書いた通り、4月の末、九州から上京されたアニキ達ご一行を接待しました。
勝手にアニキとか呼んでいますが、この方々には、私が広瀬研究室勤務時に担当した西都原古代生活体験館の工事中、大変お世話になったのです。
Kさんがゼネコンの現場監督、K女史は同社の設計者、Hさんは材木屋さんです。
以来、年末に宮崎での忘年会に呼んでいただいたり、私の仕事を見に来ていただいたりと、ずっとお付き合いが続いています。
ちなみに下が西都原古代生活体験館(設計:広瀬鎌二+文化財保存計画協会)。
さて、先日どうしても仕事の都合がつかず上京できなかったアニキの一人、Tさんから一昨日荷物が届きました。
開けてみると宮崎の美味しいものが沢山♪
包装に時の人、東国原知事の似顔絵が描かれているものも。
誠にありがたいことです。
会社の皆でオヤツに頂きましょう。
渚ようこライブ「あなたにあげる歌謡曲」
5月18日(金)に建築家の長浜信幸さん、吉原健一さんと歌手・渚ようこのライブ「あなたにあげる歌謡曲」を聴きに行きました。
その前の週、3人で新宿ゴールデン街にあるようこさんの店で飲んだのですが、その際私が酔いの勢いでご本人からチケットを購入したのが原因です。
渋谷の「青い部屋」という有名な店が会場。
渚さんの歌も高橋ピエールさんのガットギターも実に素晴らしく、私は結構気に入りました。
さらに途中で、店主の戸川昌子さんがゲストで登場、3曲だけシャンソンを歌ってくれましたが、そのパフォーマンスの凄いこと!
ようこさんを喰ってしまうほどの迫力です。
まさにプロ中のプロ。圧倒されました。
この手の店に来るのは久しぶりでしたが、実に楽しい夜を過ごすことが出来ました.
(写真はチケットを撮影したものです)
関連記事
+-daily memo「あなたにあげる歌謡曲-yoshihara」
先日ご一緒したアニキ達の一人、H兄から、数日後に荷物が届きました。
開けてみるとビックリ!
大量の塩漬けモズクです。
H兄の会社には沖縄支社があり、そこから送ってくださったようです。
ありがたいことです。
会社の皆で美味しくいただきます。
先日、九州から上京してきたアニキ達(=盃を交わした義兄弟)ご一行様を接待しました。
皆様は夕方から東京ドームでジャイアンツ戦を観戦。
19:30頃、試合途中ですが出てきていただき、とあるフランス料理店へお連れしました。
このお店はシェフ自らが狩猟してきた獲物を料理してくれるのです。
この日はイノシシを2品ほどいただきましたが実に美味しかった。
フランス料理なので当然ワインを勧められ、まずは皆で赤ワインを1本。
アッという間に飲み干すと、アニキがおもむろに鞄から芋焼酎を取り出して言うのです。
「コレ、ここで飲んでもよかっちゃろ?!」
あまりに意表をつく攻撃に私は一瞬思考停止状態に陥りましたが、
心優しいギャルソンとシェフが持ち込み酒を許してくださり、水割りセット(氷と水とグラス)まで出してくださいました。
ありがとうございます。
アニキ達、自由やねぇ……。
次回の接待はもう少しくだけた店にしよう(笑)
追記
07年6月7日に写真を添付しました。アニキが鞄から取り出した焼酎です。
青かった竹筒も、わずか一月ほどで随分と色褪せました。
竹から染み出す成分のせいか、味もまろやかになるように思います。
仕事で壱岐(長崎県)へ出張することがあると、以前書きました。
打合せ前夜に博多へ泊り、翌朝一番のジェットホイール(高速船)で壱岐へ向かうのが慣例です。
その際、朝食には博多港にある売店で握り飯を買い海を眺めながら食べます。
先日の出張時、いつものように港のベンチに座りオニギリを食べ始めると、鳩が寄ってきました。
続いて雀も。
雀にいたってはベンチの上にまで近寄ってきます。
「多分逃げるだろうな」と思ったのですが、試みに指先に米粒ひとつ付けて雀に差し出してみました。
すると、ツンと嘴をのばして食べました!
雀は警戒心が強いのではなかったっけ?
私は嬉しくなって何度も同じコトを繰り返しました。
おかげでオニギリを2個食べるはずが1個半になってしまいました(笑)
工事現場を見学その2(原の辻遺跡の復元建物 大工さんの加工場にて)
工事現場を見学した後、大工さんの加工場を訪れました。
床に置かれている2本の木は棟持柱、樹種はイヌマキです。
上部が二又に分かれた木を選んで用います。
ここに棟木をのせるのです。
以前に石垣島(沖縄県)の宮良殿内(みやらどぅんち・重文・1819年)を訪れた際、ボランティアガイドの方から「沖縄の民家ではイヌマキが主に用いられていました」と教えていただいた事がありますが、加工中のイヌマキを見るのは初めてです。
その脇には矢切壁(注1)等に用いる杉網代が出来上がっていました。杉板の厚さは4㎜!
なんとも贅沢な材料の使い方ですね(注2)。(下写真は類似例・吉野ヶ里遺跡の復元建物 05年夏撮影)
何だ、この下駄のオバケみたいなモノは?!
と思ったら、高床式建物の階段でした。一木から削り出して作る階段の原形です。
建具や枠に用いるとのことで、加工場の片隅にクスノキが沢山積んでありました。
九州の木といえば、やはりクスノキなのでしょうか。
独特の芳香が、辺りに強く漂っていました。
上は藤の蔓から繊維を取り出しているところ。これで縄を結うのだそうです。
いずれも誠に興味深いですね。
(注1)矢切壁(やぎりかべ)とは切妻屋根の建物の妻面・梁上の三角形の壁部分を指す。
(注2)弥生時代当時、板を作るには木材を挽き割るしか方法が無かった為、現代のように板を薄くすることが出来なかったとのこと。