仕事で壱岐(長崎県)へ出張することがあると、以前書きました。
打合せ前夜に博多へ泊り、翌朝一番のジェットホイール(高速船)で壱岐へ向かうのが慣例です。
その際、朝食には博多港にある売店で握り飯を買い海を眺めながら食べます。
先日の出張時、いつものように港のベンチに座りオニギリを食べ始めると、鳩が寄ってきました。
続いて雀も。
雀にいたってはベンチの上にまで近寄ってきます。
「多分逃げるだろうな」と思ったのですが、試みに指先に米粒ひとつ付けて雀に差し出してみました。
すると、ツンと嘴をのばして食べました!
雀は警戒心が強いのではなかったっけ?
私は嬉しくなって何度も同じコトを繰り返しました。
おかげでオニギリを2個食べるはずが1個半になってしまいました(笑)
工事現場を見学した後、大工さんの加工場を訪れました。
床に置かれている2本の木は棟持柱、樹種はイヌマキです。
上部が二又に分かれた木を選んで用います。
ここに棟木をのせるのです。
以前に石垣島(沖縄県)の宮良殿内(みやらどぅんち・重文・1819年)を訪れた際、ボランティアガイドの方から「沖縄の民家ではイヌマキが主に用いられていました」と教えていただいた事がありますが、加工中のイヌマキを見るのは初めてです。
その脇には矢切壁(注1)等に用いる杉網代が出来上がっていました。杉板の厚さは4㎜!
なんとも贅沢な材料の使い方ですね(注2)。(下写真は類似例・吉野ヶ里遺跡の復元建物 05年夏撮影)
何だ、この下駄のオバケみたいなモノは?!
と思ったら、高床式建物の階段でした。一木から削り出して作る階段の原形です。
建具や枠に用いるとのことで、加工場の片隅にクスノキが沢山積んでありました。
九州の木といえば、やはりクスノキなのでしょうか。
独特の芳香が、辺りに強く漂っていました。
上は藤の蔓から繊維を取り出しているところ。これで縄を結うのだそうです。
いずれも誠に興味深いですね。
(注1)矢切壁(やぎりかべ)とは切妻屋根の建物の妻面・梁上の三角形の壁部分を指す。
(注2)弥生時代当時、板を作るには木材を挽き割るしか方法が無かった為、現代のように板を薄くすることが出来なかったとのこと。
今日、高校の同級生I君から連絡がありました。
彼が社内旅行で九州へ行った際、やはり同級生のY君と会ってきたとのこと。
私の記憶が確かならY君は大学では法学部へ進んだはず。
それが卒業後一転、陶芸の道を志し、いまや伊万里の地で立派な陶芸家として頑張っているそうな。
同級生とはスッカリ縁が切れて寂しがっていたそうなので、早速メールを送ったら、瞬時に返信が。
20数年ぶりの懐かしい友との対話、そして彼の活躍を知り、今夜は実によい気分です。
先週の金曜日、家づくりの会の若手(?)メンバーで長浜信幸さんの事務所へ押しかけました。
事務所でご馳走になった後、高田馬場のタイ料理屋さんで酒を飲み、続いて巣鴨のカラオケスナック「T」へ。
噂で聞いていた浦岡健志さんと安井正さんの名デュエット「あずさ2号」を遂に聴くことが出来ました。
誠にお上手、パチパチ(^^)
するとそれに触発されたのか、カウンターに座っていたサラリーマン風三人組が、アリスメドレーでこれまた激ウマコーラスを披露してくれました(笑)
この店は常連に芸達者が多すぎて歌いにくいのだ……。
でもマイペースの私は合間にしっかり3曲ほど歌ってまいりましたよ、 勿論「ひまわり」もね。
先般壱岐(長崎県)へ出張した際、原の辻(はるのつじ)遺跡の復元建物工事現場を見学させていただく機会に恵まれました。
いずれもなかなか見ることが出来ない誠に興味深い仕事でしたので是非ご紹介したいと思います。
下の植栽は一見何の変哲も無いものですが、工事で剥ぎ取った表土を別の場所へ保管しておき、再び元へ戻すことで植生保存を図った結果なのだそうです!
もともと土中に含まれていた様々な種が自然に発芽したとのことですが、このようになるのであれば、下手に芝を張ったりするよりも、ずっと自然でよいですね。
竪穴式住居の架構が組み上がった状態です。
別の建物の竪穴がちょうど施工中だったので、工事手順をご説明しましょう。
住居の竪穴部分は、方形の型枠を設置して周囲に改良土を締め固めて作ります。版築に近いですね。
下がその型枠の内側。
型枠が土圧で内側へ倒れぬようパイプで突っ張っているのが分かります(黄色い箱状のモノは棟持柱の掘立て穴部分)。
下が型枠の外側に土を入れ締め固めた様子。
コンクリート打放しに用いる塗装合板型枠が用いられていました。
型枠を外すと、四角くエグられた竪穴が出来る次第。この後、遺構の形に忠実に土を削り取ります。
続いて茅葺き工事の様子を見学。
「茅」とは屋根に葺く草の総称。この現場ではススキが用いられています。
原の辻遺跡の復元建物では、「逆葺き(さかぶき)」という穂先を下にして葺く構法が採用されています(韓国に類似例が多い・注1。下写真は2006年夏に撮影した別の復元住居)。
ただしこの構法は雨が漏りやすい為、見えない部分は穂先を上にする通常の方法で葺くそうです。
横に走っているのは女竹で、これと母屋(もや・小屋組の一部材)とを藁縄で結び、茅が風で飛ばされるのを防ぎます。
茅から飛び出している木は、屋根の厚みを確認する為の道具だそうです。
下は軒先の茅の小口をたたいて揃える道具。裏側は長年の使用により、うづくり(注2)状態になっていました。
何もかもが実に面白く、且つ、とても勉強になりました。
(注1)優れた参考文献として「草家―韓国の人々の暮らしとかたち」(2006年 ワールドフォトプレス)があります。
(注2)「うづくり」とは板等を茅でこすって木目を浮き立たせた仕上げ。天井板などに用いる。
3月末に新入社員の歓迎会を行いました。
仕事を早めに切り上げ、キャス・クルートへ。
ここは昨年から何度も通っているお気に入りのフランス料理店なのです(設計:田代敦久)。
食前酒で乾杯の後、白ワインを飲みながら、お店の14周年記念メニューを頂きました。
いつものことながら料理は美味しくサービスも満点。
メニューも洒落ています。
若い方でも気軽に利用できるフランス料理店としてお勧めです。
2月半ばからアルバイトで大学生のU嬢が来てくれています。
以来ずっと彼女はH計画の構造模型に専念、一人でコツコツと作り続けています。
そろそろ小屋組が立ち上がり始めました。
これから先が楽しみです。
壱岐へ出張のため、前夜から福岡入り。
博多のホテルにチェックインしたのが午後10時半、普通の店のラストオーダーにはもう間に合わんとです……。
というわけで、中州の屋台へ。
川沿いの桜がまだ結構咲いています。
とりあえずホテル・イル・パラッツォ(設計:アルド・ロッシ)の外観を見物。
その後立ち並ぶ屋台を物色、一人なので気後れしましたが、エイヤッと人気のありそうな屋台に入りました。
隣にはエストニア(?)から来たという若い男性2人連れ。
店のアンチャン達が「”Shut up!” is “SEKARASHIKA!”」などと正しい日本語を教えてあげています(笑)
おでんでビールを飲み、シメはやっぱり豚骨ラーメンですたい。
先日、植木等さんが亡くなりました。 誠に残念です。
私はクレイジーキャッツの全盛期を直接には知りません。
しかし、植木さんという無責任ギャグの巨匠無しには、私の大好きなタモリ、高田純二、所ジョージ、ユースケサンタマリアといった無責任系のアーティスト達(あえてアーティストと呼ぶ!)は存在しえなかったと考えます。
心より感謝し、ご冥福をお祈り致します。
昨日はまさに花冷え、前日の暑さが嘘のような肌寒さでした。
しかも今にも雨が落ちてきそうな曇り空。
そこで今年の桜の見納めとばかりに、桜吹雪が舞う中、目黒不動尊と目黒雅叙園へ行ってきました。
日没後、雨が降ってきました。風も強い!
これで今年の桜は終わった……。
と思っていたら、今日も桜の花は健在でした。
そこで、未練がましく不動尊で再度花見をしてきた次第です。
ケヤキがこの2~3日で一気に芽吹いてきましたね。