以前家づくりの会の広報誌に「自分は特定の宗教を信ずる者ではない」などと書いた私ですが、
その後よくよく考えてみた結果、自分は紛れもなく仏教と神道の両方を信ずる者だと自覚するに至りました。
正月には神社にて参拝をし、八百万の神の存在を日々なんとなく意識していますし、
一方で輪廻転生や因果応報等の仏教(それが我が国独自の発展を遂げたものだとしても)の教えを信じ、事あらば寺や墓にぬかづき合掌している次第。

明治維新以前のいわゆる神仏習合の形、それが最も私の宗教観に近いように思いますし、
おそらく我が国の大部分の人がそうなのではないか、と考えます。
(写真は奈良公園の鹿、神の遣いとされています)
入院中、ほぼ毎日妻が面会に来てくれました。
僅か30分足らずですが私にとって貴重な時間。
何しろ生来のお喋りが一日中静かにしていなければならないのです。
ふだん喋れない分、面会時には機関銃の如く話し続け発散。

妻を正門まで見送ってから振り返ると、毎夜こんな景色が広がっていました。
手の治療をしているものですから、捻る、という行為が難しい。
これは、私のような症例に限らず、力の弱った御年寄等も同様です。

私もよく老母から、ペットボトル等のキャップを開けてくれ、と頼まれます。
水密性その他に優れるのでしょうが、非健常者にとっては不適切な事もあるようです。
慶應病院・1号館に飾られていた絵。

私には砂浜と青空のように見えるのですが……、さて?
入院時のベッドをシーツ交換の際に撮影。

延べ2週間寝ていた訳ですが、このマットレスは快適でした。
おそらく発電もしている鯨型風車。

ここまで大きくなると、具象表現への賛否が大きく分かれるところです。
歓喜院聖天堂・拝殿向拝は三間となっており、両脇間の梁上で

阿

吽
の虎が身構えています。
以前先輩の仕事を手伝うべく通っていた東上野。
その近くで同潤会上野下アパート(1929年竣工)が現役で使われていました。

震災復興時の貴重な建造物であり、時を経て緑に覆われ実に風情のある景観を構成していただけに、
その後間もなく取り壊されてしまった事が残念でなりません。