その後もなかなか良くならぬ我が皮膚疾患。
慶応義塾大学病院への通院も、二週に一度のはずが毎週になり、遂には週に三回も通わねばならない事に……。

その度に利用し眺めるJR信濃町駅ビル。
石の名手であった岡田(注)は、この建物で、ガラスを石の一種として扱おうとしていたのではないか?
雨天や曇天の日の鈍く光るガラス面を見るにつけ、そう感じる私です。
(注)岡田新一(1928~2014)は、日本の建築家。この建物は氏の設計により平成5(1993)年に完成しました。
その後もなかなか良くならぬ我が皮膚疾患。
慶応義塾大学病院への通院も、二週に一度のはずが毎週になり、遂には週に三回も通わねばならない事に……。

その度に利用し眺めるJR信濃町駅ビル。
石の名手であった岡田(注)は、この建物で、ガラスを石の一種として扱おうとしていたのではないか?
雨天や曇天の日の鈍く光るガラス面を見るにつけ、そう感じる私です。
(注)岡田新一(1928~2014)は、日本の建築家。この建物は氏の設計により平成5(1993)年に完成しました。
以前、博多山笠で有名な櫛田神社を訪れた際の一葉。
「博多べい」なる土塀が復元されていました。

以下、石碑に刻まれた文言を書き写します。
天正15年(西暦1587年)豊臣秀吉の太閤の博多町割り(戦災復興都市計画)によって、たくましくよみがえった市街には「博多べい」と呼ぶ土べいが長く連なった。
郷土再興の悲願をそのままに、焼け石、焼け瓦が厚く塗り込められ、当時、重なる戦禍の焦土から奮起した根性と心意気を示して余りがある。
このたび、博多三商傑の一人、島井宗室の屋敷跡に380余年の風雪に耐えた、最後の「博多べい」が四散の危機に直面するに当って、広く志を集め、ここに移築再建した。但し右方は断面を表す。

御説明は不要かと……m(_ _)m
とあるビルの駐車場出入口の庇。

折角の良いデザインなのに、鏡と鳥避けが美観を損なっているのが残念……。
自分だったらどう解決すべきかしらん?
以前宿泊したホテルに飾られていた彫刻。

ちと欲しくなるような、素敵な河馬(?)でした。
JR新橋駅の汐留側に建つ、新橋駅前ビル。早稲田建築の雄・佐藤武夫の設計によるもの。

写真は1号館で、向かって右側に道路を挟んで2号館があります。
外観は私もあまり好みではありませんが、全体として見るに、随所に手仕事の要素を適度に盛り込んだ佳品ではないかと。
今後も引き続き写真を御覧に入れる所存であります。
(注)佐藤武夫(1899~1972)は日本の建築家。現在の佐藤総合計画の創設者であります。
隠れるから適当でいいや

と思ってたら見えちゃった……。
Copyright © 2025 山本成一郎設計室 All rights Reserved.