没後4年、いまだ我が家の相当部分を占領している父の遺品を、必要に迫られ整理し始めました。
一体誰が使っていたものやら古い煙管(キセル)が出てきたり、四半世紀も死蔵されていた新品のラヂオが見付かったりと、色々と面白い発見があります。
秘蔵と思しき原節子の写真集には思わず笑ってしまいました。
とは言え気が重いのは、意を決して次から次へと捨てる決断を下さねばならないこと。
「コレを処分したら母や兄弟が悲しむかもしれないな」などと考え始めたらもういけません。途端に作業が停滞してしまいます。
ここは冷徹な判断を積み重ねていくしかないのです。なぜなら故人の遺品はその殆どが今を生きる人にとっては無用の長物なのですから。
しばらくの間、苦渋の日々が続きます。
(NPO法人家づくりの会メールマガジン2016年5月号より 転載にあたり題名と写真を追加)