博多べい

以前、博多山笠で有名な櫛田神社を訪れた際の一葉。
「博多べい」なる土塀が復元されていました。

01(R0010284・20081008)トリミング縮小900×900・背後のみぼかし強×10・背後のみ自然な彩度-50・明るさ+50コントラスト+50・奥の下部ぼかいs強×10自然な彩度-50・左背後のみぼかし強×3自然な彩度-50・スマートシャープ

以下、石碑に刻まれた文言を書き写します。

天正15年(西暦1587年)豊臣秀吉の太閤の博多町割り(戦災復興都市計画)によって、たくましくよみがえった市街には「博多べい」と呼ぶ土べいが長く連なった。
郷土再興の悲願をそのままに、焼け石、焼け瓦が厚く塗り込められ、当時、重なる戦禍の焦土から奮起した根性と心意気を示して余りがある。
このたび、博多三商傑の一人、島井宗室の屋敷跡に380余年の風雪に耐えた、最後の「博多べい」が四散の危機に直面するに当って、広く志を集め、ここに移築再建した。但し右方は断面を表す。