約4年前に書いたものです。
私はこれまでに数棟、釘金物をほとんど用いない木組による伝統的木造建築を設計しています。こう申し上げますと、必ず「宮大工さんに建ててもらうのでしょう?高価なモノですよね?」と言われます。ある程度高価になるのは確かなのですが、実は昭和初期くらいまでは一般住宅でも普通に用いられていた技術なので、必ずしも宮大工でなくても作ることは可能です。その技術はまだ各地にわずかながら残っています。
戦後しばらくして高度成長期を迎え、住宅金融公庫などによる後押しもあり、誰もが一戸建て住宅を構える風潮が一般化しました。かつては、一部の高所得者層を除いては借家住まいが当たり前だったのですから、いかに社会が豊かになったかということです。
しかし、大量の需要には、大工をはじめとする伝統的な職人集団だけではとても対応出来ず、新たな技術や建設方法を導入せざるを得ませんでした。その結果、住宅の作り方は合理化・簡略化され、低価格・短期間で数多くの住宅を供給することが我が国の住宅産業のメインテーマとなっていきます。そこでは、住宅の耐久性という観点はひとまず棚上げされてしまいました。その結果、大工が手刻みで木材を加工する牧歌的な光景は失われ、冒頭の問答のような認識が流布してしまったのでしょう。
俗に「3軒目には納得の出来る家をつくることが出来る」などと言いますが、一般的には住宅をつくる機会は一生のうちに一回だけです。我が国の住宅の耐久性は、残念なことに欧米諸国に比較してとても短く、せっかく高価な買い物をしたのに、ローンを支払い終わったら家はボロボロ、などという笑えない話も起こっています。
一方、地球環境問題が顕在化しており、これまでのように安く早く、でも長持ちはしないので使い捨て、という考え方はもはや許されません。住まいの耐久性をいかに高めるか。これには、建築構造や腐朽等への周到な配慮(設計面での配慮)、見えなくなる部分にも留意した入念な工事(施工面での配慮)、さらには家族構成などソフト面の変化にいかに柔軟に対応出来るか(間取りや設備の変更・更新が容易に出来ること)がとても重要です。
建設から取り壊しまで、本当の意味でのエネルギー収支を考慮した家づくりが今後必要とされるのは間違いありません。そして幸いなことに、我が国に多く残る民家など古建築には実に多くのヒントが隠されています。
とは言うものの、昔ながらの建設手法をそのまま用いては、一部の好事家だけが満足する普遍性のない(懐古趣味とも言えます)住宅になるのが理の当然。そこで私が気を付けているのは、あくまでも現代技術の上に成り立つ住宅であれ、ということです。
先人の試行錯誤により生み出されてきた伝統技術の中で活用すべき面(いまだ先人の発明にかなわない面)は積極的に活用するが、現代技術でカバー出来る(しても耐久性能面で問題がない)面では積極的に合理化を図ります。設備面でも過剰にならない程度配慮します。これらのことには当然コストが大いに関係します。
もうひとつは、周辺環境への配慮です。地震や台風など自然災害の多い我が国では、自分の家が破損したり倒壊することでご近所へ迷惑をかけないことは当然のこと。さらには既存の街並みを破壊するような独り善がりの家構えもご法度です。
「土蔵のある家」は、福島県に建つ小さな住宅です。建主の要望により既存の土蔵(昭和初期のもの)を曳き屋して残し、それに沿わせて住居部分を新築したものです。木組の技術を積極的に用いながら補強金物も併用し、構造を隠すことなく室内にあらわすとともに、合板などの現代の材料を積極的に使用しています。さらに建物を構成する材料をなるべくそのままの形で目に見えるようにしており、不具合などの早期発見が容易です。外観は古い街並みに配慮しています。
(写真:小野吉彦 2007年9月 旭硝子HP「アーキテクトルーム 住まいの話題[413]:先人の知恵に学ぶ」より転載 一部修正)